あの「大沼」がつぶれる。
山形県に激震が走った。
これで山形は、全国で唯一、百貨店のない都道府県となった。
「大沼」は山形県で知らない人がいない、
百貨店のトップ。
江戸時代から山形の中心街を、
中心街たらしめてきた老舗である。
それがついに、潰れた。
従業員は全員解雇。
突然集められて
突然解雇を言い渡されたと言う。
「市場環境やライフスタイルの変化に対応できなかった」
全くその通りですね。
もう、山形のマスコミはてんやわんや、だったらしい。
→彩加選手、8日の「旅サラダ」でラッシャーさんと中継します。 よかったらどうぞ。
当時の児玉社長の純朴そうな人柄とファンドから来た社長。
目つきからして、経営視点が全然違うだろうことがわかる。
社会面には
特集記事が組まれた。
唐突ではあったが、
「大沼」はずっと危険な状態にあった。
東京のファンドに身売りしたところ
そのファンドもどうも怪しい会社らしかった。
それでも、店舗内の雰囲気は相変わらず「昭和」のままで
全く改革は進んでいない。
それが店舗を訪れれば
肌感覚として分かった。
百貨店だけど
店員に百貨店の誇りは感じられなかった。
いれば給料がもらえる。そんな印象を受けた。
記事では
「最近は魅力を感じられなかった」という
意見を載せているが
これは記事を書いている
記者の意見そのものだと考えていいだろう。
そんなわけで
身売り後も
フラフラした状態が続いていた。
県内在住者が執筆するコラム欄には、
翌日、さっそく大沼関連のものが寄稿されていた。
なるほど。
このジリ貧を抜け出す方法を、
大沼の経営陣は見つけることができないまま
社員は見つけることができないままだった。
昭和やり方を続けていき
潰れてしまった、ということか。
ということを
山形新聞が直接書かないな、
と思っていたら、
その翌日の特集記事。
「老朽化した建物で品ぞろえも代わらない」
「頭が変わっても内蔵は変わらない」
個人的に僕としては
「売り場の店員の意識も変わらない」を加えておく。
さらに、
全く知らない情報が続いた。
「地元実業家頼みだった」
へー。
誰だろう?
コロナウイルスの記事とともに
「大沼の衝撃」の記事は連続続いた。
翌1月31日。
この日は、
中心商店街の人たちの不安の声を集めて終わっていた。
「どうなるかよくわからない」
という意見ばかり。
主体性のある意見はなし。
翌2月1日。
地元実業家なる人が、
取材に応じていた。
おお!!
この人か!!
和田有弘さん。
知らないなぁ。
記者の人、よく口説き落としたなぁと感心して読んでいると
やはり、この方はこの方で言いたいことがあるらしかった。
取材に応じた理由は
「まだ融資するつもりだったのになんで潰したんだ!!」
という怒りの矛先がないかららしかった。
本当の金持ちなら
これぐらいしても不思議じゃない。
なぜ大沼は彼ともっと連携できなかったのか?
なぜあんな風に突然店じまいする必要があったのか?
もう経営陣が、
綱渡りのストレスに耐えられなくなって
放り出してしまったのだろう。
終わり方があまりにもひどすぎる。
実害を被っている人ももちろんいる。
「取引業者 回収できず」
ひどい。
これを最後に大沼の記事はほとんどなくなった
(従業員の再就職支援の記事などはある)。
山形のトップの百貨店が最悪の潰れ方をした。
僕個人としては
立地の良さやブランドを活かせば
再生は可能だったと思う。
一番の問題は
従業員の意識改革だったと思う。
でもそのためには
経営者の意識改革こそが必要だった。
そしてそれは
誰もできなかった。
これは大沼だけの問題ではないと思う。
大沼の今回の泥沼劇は
山形県の多くの会社に当てはまるのではないだろうか。
人口が減少し続ける山形県で
商売をするのは難しい。
でも逆に、
山形県民の意識の古さを打破する大切さに付ければ
ビジネスチャンスがあるんだと感じる。