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双子パパの脱サラ日記(今はコロナウイルスがらみばかり)〜子供との時間を大切にして生きる実証実験〜

テレビ一筋だった38歳。育休取得してパパ業の大切さと”ワンオペ育児”のヤバさに気づく。「このままじゃいかん」と思うものの記者業しながらの副業はこなしきれず、扶養や住宅ローンを抱える中とりあえず脱サラ。まずはセルフリノベで2軒の大家になり収入を少し確保。このブログでは、赤字生活で始まる無鉄砲な脱サラから事業成功までの過程を包み隠さずリアルタイムでお伝えします。YouTubeもぜひご覧くださいませ。当面の着地点は「好きな時に好きな場所に旅。家族みんなで。時に一人で」。

記者の存在意義が薄れている〜10年前の新米時代がフラッシュバック〜

山形では今高速道路開通ラッシュだ。

 

山形県の中部にある山形市

南部の米沢市を結ぶ高速道路、

山形中央自動車道」が

去年4月に開通した。

 

その途中、

山形市上山市間にトンネルがある。

 

三吉山のトンネルなので、

三吉山トンネルと言う。

 

ちなみに、

僕の祖父も「三吉」という名前だった。

 

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三吉山トンネル

 

確か、10年ほど前だった。

 

僕が警察担当になった年だ。

 

このトンネル工事をしている方が

事故で亡くなってしまった。

 

僕は、事件事故担当だったので

記事を書くことになった。

 

現場に入ることはできなかったので、

電話での取材だった。

 

事故の状況は警察から情報を得ることができた。

 

しかし、そもそも亡くなった方は何の工事をしていたのか、

説明する必要がった。

 

僕は管轄する、国交省に電話して取材した。

 

当時、国交省がどこにあるかもわからなかった。

 

僕はまだ、営業部から異動してきたばかりで

新米記者だった。

 

山形県警本部にある「記者室」の一角にあるブースで電話をかけた。

 

1分20秒の原稿を書くために、県警の4階で取材し

国交省に電話する。

 

そして、パソコンで原稿を書き、出稿した。

 

昼ニュースに間に合わせるだけでも精一杯だった。

 

そうした光景が、

このトンネルを通るたびにフラッシュバックする。

 

会うことなくトンネルで亡くなった、全く知らなかった人のことを想う。

 

当時、取材に対応していた警察官を思い出す。

 

当時、記者クラブで幅をきかせていた

山形新聞と読売新聞の記者を思い出す。

 

僕にとって、

県警クラブの時代は、いい思い出がない。

 

出し抜かれてばかりだったからだ。

 

普通は、山形新聞がぶっちぎって強いのだけど

当時は、読売新聞の記者がめっぽう強かった。

 

グレーのスーツしか着ない男で

テレビから転職してきた人間だった。

 

事件は大きく分けて

1課モノと2課モノがある。

 

刑事1課と刑事2課だ。

 

1課は殺人等の事件を扱う。

2課は汚職等を扱う。

 

1課は事件がいつ起こるかわからない。

起きてから「ヨーイドン‼️」で取材が始まる。

 

2課は違う。

周到に捜査した上で逮捕に至る。

 

1課でネタを取るコツは

自分たちで周辺取材をして、

警察も知らない情報を提供することで

見返りの情報をもらう。

 

または、何度も夜や出勤前に家に押しかけ

「仕方がないな」と言う形で

情報をもらう。

 

ただ、彼らは情報漏洩をひどく警戒しているので

そう簡単には教えてくれない。

 

そうとうな営業活動が必要だ。

 

 

2課モノで出し抜くというのは

さらに大変だ。

 

1課はいろんな証拠物があるが

2課は文書か供述が主になる。

 

2課はさらに慎重だ。

 

当時の読売の記者は、

その2課モノで山形新聞を出し抜いた。

 

国交省職員の汚職事件だった。

 

山形では大事件扱いだ。

 

朝刊紙しかない読売新聞が出し抜き、

当時まだ夕刊があった山形新聞が夕刊でさらに出し抜く。

 

僕はまったくついていけなかった。

 

スタートラインにしか立ててなかった。

 

追いかけることすらできず、

会社からは怒られた。

 

でも、

具体的な取材方法を教えてくれる人は誰もいなかった。

 

 

記者は

夜討ち朝駆け」が基本だと言われる。

 

そのためには彼らの自宅を知らなくてはいけない。

 

しかし、

その「住所録」が会社にはなかった。

 

夜討ち朝駆け」のしようがない。

 

どうしたら住所を知ることができるのか?

 

ゼンリン地図を眺めてみたが、

見つけることができない。

 

どうしたら住所を割れるのか?

 

教えてくれたのは

池上彰さんの本だった。

 

参考:記者になりたい! (新潮文庫)

 

 

この本に、住所を割る方法が書いてあった。

通称「ヤサワリ」と呼ばれる。

 

なんてことはない。

 

住所を知りたい捜査官を警視庁の入り口で待ち伏せして

気づかれないように家についていくだけだった。

 

眼からウロコだった。

 

僕も実行することにした。

 

ただ、山形は自動車通勤だ。

東京のように電車通勤とはワケが違う。

 

カーチェイスする必要がある。

 

警察官というのは

常に周囲に目を配る訓練をされているようで

近すぎると気付かれて巻かれることもあった。

 

そもそも、どの車に乗っているかを調べるため

駐車場までついていくのだけど、

そこで気付かれないようにするのもまた難しかった。

 

車種とナンバーを記憶し

急いで自分の車に戻り

チェイスした。

 

家についてピンポンする。

 

このピンポンがまた勇気のいる行為だ。

 

せっかく家に帰ったのに

また仕事の話をさせるワケである。

 

良心が痛む。

 

でも、やらなければ

「情報レース」で置いてけぼりだ。

 

このピンポンできるかどうかが

報道部向かどうかがきまる。 

 

 

ピンポン。

 

奥さんが出た。

 

奥さんは僕が初めてだとわかると

「帰ってきたけど、また出ていきました」

と冷たく言った。

 

門前払いされたのだった。

 

2度目から本人に会わせてくれるようになり

数回通うと、

「旦那はきょう8時ぐらいに帰るよ」とか

教えてくれるようになった。

 

 

もしくは本人が出てきて「家まで来るな!!」と

恫喝される。

 

しかしこれは、

記者の本気度を試しているに過ぎない。

 

それでも平気なお顔してまたピンポンする図々しさがあるのかを、

彼らは試しているのである。

 

こうした実際の取材方法を教えてくれたのが

「64」などで知られる、横山秀夫の本だった。

元記者の横山秀夫の描写は、

経験したことのある人間にしか書けない信憑性がすごい。

参考:半落ち ←超名作だと思う

 

ところでなぜ家まで通う必要があるのか?

 

行政というのは

広報を担当するのは

たいていナンバー2であることが多い。

 

副署長だったり、次長だったり、課長補佐だったり。

 

彼らはマスコミにどこまで情報を出すのか

トップと話がついている。

 

つまり「話さないこと」を決めている。

 

一方で「トップだったらここまで話していい」

という

不問律が存在するのが実情だ。

 

だから、さらなる情報を求めるには

マスコミ対応するナンバー2でなく

トップに会いに行く必要がある。

 

庁内ではトップには会わせてくれない。

 

奥の部屋まで行かせてもらえない。

(トイレやタバコ、外に出る数秒を捕まえる、ということも可能だが、そこで教えてもらえる関係を築いておく必要がある)

 

だから自宅まで押しかけるのだ。

 

二人きりで話せる、

というのも重要なポイントだ。

 

山形の警察官は

お互いをすごく観察し合っているので

自分がマスコミと親そうに話している姿を

他の人に見られたがらない。

 

自宅では世間話もできる。

 

 

警察の仕事自体が、

「足でかせぐ」ことを重視している。

 

だから、記者がわざわざ家まで押しかけることが

「足をかせぐ」証明であり

彼らの警戒心を解くポイントでもあった。

 

特に日曜日に行くと

「休みなのに偉いな」

とほめられることもあった。

 

山形県警はそういう世界なのだ知った。

「遅くまで残っているやつ、休日出勤する奴が偉い」。

 

 

何度も通えば

少しずつヒントだけでも教えてくれるようになるけど、

でも、最後は結局、

人と人だった。

 

人として、

うまが合うか合わないかだった。

 

僕は「強行系」の警察官が好きだった。

 

いわゆる「殺人」とか「強盗」とかを担当する人たちだ。

 

彼はすぐ怒鳴る。

目つきも鋭い。

 

でも、こういう人たちは裏がない。

 

怒鳴られても

大きい声で返事していれば

たいていは笑って許してくれた。

 

こうして少しずつ取材できる人、

取材のチャンネルを増やすことで

ようやく山形新聞に追いつけるようになっていった。

 

粘り勝ちができるようになった。

 

朝刊の前に夕方ニュースで出せるようになっていった。

 

その頃には、読売新聞の名物記者は異動していなくなっていた。

 

ただ、彼が鍛えた後輩もまた、手強かったのだが。

どのルートから情報を取っているのか、全くわからなかった。

 

 

 

そうした情報レースに乗りながらも

僕の中には大きな疑問が残ったままだった。

 

休みの日に警察官に取材に行き(ぐったり疲れる)

警察官に会うため、夜中の12時まで待つ。

 

僕が取材しているのは

そうまでして追う必要がある情報なのだろうか?

 

一体誰が必要としているのだろうか?

 

夜回りで情報をとるノウハウは構築した。

 

実際、夜討ち朝駆けで情報をとってしまえば

その日の日中はのんびりできる。

 

仕事としての効率はいい。

 

だから、後輩にも教え、実行させた。

 

優秀な後輩はノウハウを覚え

効率の良さを学ぶが

できない後輩は

泥の中をのたうちまわるように夜回りしていた。

 

時代が変わり

夜回りを嫌がりシャットアウトする警察官も増えているようだった。

 

当たり前の話だ。

 

僕が警察官の立場だったらそうする。

 

 

裁判員裁判が始まってから、

山形県警は「事件の動機」をなかなか話さなくなった。

 

情報の伝え方もよりシステマティックになっている。

 

人対人だった取材が

少しずつ組織対組織になっている、と感じる。

 

記者の存在意義が薄れている、と感じる。

 

 

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