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双子パパの脱サラ日記〜子供との時間を大切にして生きる実証実験〜

テレビ一筋だった39歳。育休取得してパパ業の大切さと”ワンオペ育児”のヤバさに気づく。「このままじゃいかん」と思うものの記者業しながらの副業はこなしきれず、扶養や住宅ローンを抱える中とりあえず脱サラ。まずはセルフリノベで2軒の大家になり収入を少し確保。このブログでは、赤字生活で始まる無鉄砲な脱サラから事業成功までの過程を包み隠さずリアルタイムでお伝えします。YouTubeもぜひご覧くださいませ。当面の着地点は「好きな時に好きな場所に旅。家族みんなで。時に一人で」。

【意外】とある外国人の新年会~実はみんな普通に良い人~

 

僕はサラリーマン時代、

かの恐ろしい在日の人たちを取材していた。

 

他の人に話すと

「はっ??」

「なんで??」

って聞かれる(あんまり話さないけど)。

 

「在日だったの?」

「違うよ」

 

実は、僕が取材を始めた理由も

「なぜ??」と思ったこと。

 

「なんで朝鮮人やってんの??!!」

「日本人になればいいじゃん!!」

 

その一方で

日本に生まれ育ちながら、

違う国の文化を引き継いでいるということに

憧れを抱いていた。

 

この問題に興味を持ったきっかけの本はこちら。

超名著:コリアン世界の旅 (講談社文庫)野村進著

 (在日と言えば反日という前提を切り崩し、

フラットな目線で等身大の在日を紹介した)

 

 

記者1年目だった。

 

勇気を出して、

朝鮮総連山形に向かい

ピンポンを鳴らした。

 

「記者だ」というと

彼らは笑顔で僕を迎えてくれた。

 

「こんなところによく来てくれたねぇ」

 

 なんてことない。

話せばみんな気のいいおじさん、おばさんでしかなかった。

 

 

話を聞けば聞くほど

彼らが

「なぜ在日であり続けるのか(日本に帰化しないのか)」

北朝鮮本国をどう思っているのか」を

少しでも伝えたくなった。

 

一言で言えば、彼らは

「親(ルーツ)を変えることはできない。在日から生まれたんだから俺も在日」

北朝鮮本国は『ちょっと扱いづらい頑固おやじ』みたいな…」

という感じだった。

 

彼らにとっても

「仕方ないじゃん」という感じだった。

 

もちろん在日にも、

いろんな人がいるから一括りにはできない。

 

ただ一つ、意外な発見があった。

 

総じて言えるのは

彼らは

「日本社会の無視」に傷ついている、ということ。

 

僕から見れば、もはや在日は「いじめられっ子」なんだけど

誇り高いというか、プライドが高いというか、

自分たちから日本社会に歩み寄ることができない。

 

もはや朝鮮総連本部と北朝鮮本国のつながりなんて

取るに足らないもので、

朝鮮総連の力など、たかが知れている。

以前のことは知らないけど、今できることは限られているだろう。

 

(過去に拉致に協力したという話があるが実際あったことだと僕は思っている

 内部でも超極秘らしく、皆「我々のレベルではわからない話だ」という。)

 

 

もちろん、日本社会も「社会的弱者」に

歩み寄ることはしないので

両者の関係は良くならない。

 

在日の人も日本のテレビを見て育つ。

 

もちろん、北朝鮮という国に疑問を抱く(僕が聞いた在日全員が「拉致は許せれない」と思っている)。

 

日本政府の同化政策朝鮮人を少しずつなくしてしまう政策)が続く中、

在日朝鮮人は減る一方。

 

在日朝鮮人は力が弱くなる一方。

 

ますます日本社会に無視される悪循環。

 

それがもろに問題化しているのが、東北だ。

 

在日は、大阪や川崎に多いが、

東北は少ない。

 

東北の在日は

もはや「ジリ貧」だ。

 

存続の危機だ。

 

僕は彼らの話を聞いていくうちに

「消滅の危機にあえぐ在日」で取材したいと思った。

 

彼らは彼らで

北朝鮮は悪、在日は悪、の前提ではなく、

 ありのままの自分たちを取材してくれるのなら」

と、好意的だった。

 

「無視されている」彼らにとって

「自分たちに関心を持ってくれている」ことは、

うれしいことのようだった。

 

 

でも、取材OKまで10年かかった。

 

 

「誰か」を取材するのは歓迎だが

「自分」が取材されるのは嫌がった。

 

日本社会の反応が怖いらしかった。

 

数年待った。

 

とりあえず会合に出席し

キャンプに参加し、

ということを続けているうちに

山形・宮城の在日で

ほぼ「僕を知らない人はいない」という状況になった。

 

信頼関係は築かれた。

 

そしていざ取材となると

今度はみな

「山形のトップがOKなら...」といい

山形のトップは

「本人がOKなら…」としり込みした。

 

 

 

在日内での批判が怖いらしかった。

狭い社会だから、それもわかる。

 

 

でも、なんとか放送にこぎつけた。

 

僕が右往左往しているのを見て

総連内部の有能な青年が協力してくれたのだ。

 

彼が動くことで

朝鮮人内部の問題は解決した。

 

僕の社内でも

「そんなの放送して大丈夫か??」と少しもめたが、

「放送後街宣車が来たら僕が警察に電話する」

「警察の右翼担当者は懇意にしている(ハッタリ)」と説得し

OKをもらった。

(実際は、右翼も山形のローカル局なんて相手にいていしないとわかっていた)

 

 

 

 

いざ放送した。

 

山形県民は、視聴者に良識がある。

 

ネガティブな反応はなかった。

 

むしろ、視聴率が右肩上がりの

「おいしいネタ」だった。

 

彼らも、取材し放送したことを喜んでくれた。

 

 

 

だからこそ、

僕が会社を辞めると挨拶に行ったとき、

一番残念がったのは彼らだった。

 

これから僕が何を取材するのか?

 

一番楽しみにしてくれていたのは

他でもない、在日の彼らだった。

 

でも、僕が会社を辞めた大きな理由も

やはり在日の人だった。

 

在日朝鮮人」としての誇りを持ち

会合に集まる人たちは

たいてい「朝鮮学校」に通っている。

 

だから、思想も正直「ガチガチ」だ。

 

僕は密着する人を探していたが、「ガチガチ」の人は避けたかった。

 

僕は「在日朝鮮人の葛藤」を撮りたかった。

 

「ガチガチ」な人の密着はできない。

 

「ガチガチ」な人は他人から与えられた言葉しか使わない。

無意識で守りに入っている人たちだ。

 

そういう人の言葉は、心に響いてこない。

 

僕に響いてこなければ、

視聴者には絶対に響かない。

 

 

数年かけて、ようやく密着したい人を見つけた。

 

山形県内のパチンコ屋さんで働いている人だった。

 

金正男氏が暗殺された時も

「ますます本国に疑問を抱いたよ…」

と、残念そうにつぶやいた。

 

彼の言葉は重かった。

 

葛藤の末の一言が多かった。

 

心に響いた。

 

ほれた。

 

説得した。

 

何度も説得した。

 

「あなたじゃないとダメなんだ」

在日朝鮮人の多くが朝鮮総連本部に不満を抱いている。代弁できるのはあなただけだ」

朝鮮人であり続けることに、日本人にも朝鮮人にも納得できる言葉を持っているのはあなたしかいない」

 

3回目のサシのみだった。

 

ようやくOKをもらった。

 

僕はずっと以前から、

会合に出席する彼の両親にあいさつし、

「息子さんに取材お願いしている」と伝えていた。

 

両親も僕を知っていた。

だから、両親からもすぐにOKが出た。

 

さあいよいよだ。

 

「最後にすり合わせをしたい。番組企画書をくれ」というので、

渾身の1枚をA4にして持って行った。

 

そこには

「親のルーツを大切にする東アジアの文化を引き継ぐ人たち」

「差別を受けながらもルーツを守ろうとする社会的弱者」

という言葉のほかに

 

朝鮮総連に不満を抱く在日たち」という文字もあった。

 

 

 

数日後だった。

 

なんとNGが来た。

 

彼の姉が反対したというのだった。

 

在日朝鮮人社会の反応を恐れたらしかった。

 

僕は絶望した。

 

絶望。

 

僕は数日間ショックから立ち直れず

在日社会は自分たちのせいで、在日が変われるチャンスを潰した」と思うしかなかった。

 

遠方に住む彼の姉を説得しに行く気力はなかった。

 

いろんな事情が

「もうサラリーマンは潮時なんだよ」と

神様が言っていると思うことにした。

 

彼も子供を朝鮮学校に通わせるため、

仙台に引っ越した

 

潮時なのだ。

 

 

 

このことは、在日の人たちには伝えていない。

 

ただ、会社を辞めた後も

「新年会来ないか」と誘ってくれるので

喜んで参加させてもらった。

 

館内には、

きちんと金日成氏と金正日氏の肖像画が飾ってある。

 

でも、会合は和気あいあいとしている。

 

曰く

「君たち日本人が僕らをいじめればいじめるほど、我々の結束は固くなる」そうだ。

 

実際そうなのだろう。

 

全く利害関係がなくなった僕も、その輪に入れてもらっている。

 

楽しい。

 

全員一人一人とあいさつする。

 

「双子は大きくなったかい?」

「ちゃんと生きてるか?」

 

そして、おいしい朝鮮料理をごちそうしてもらう。

 

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食事中は、去年ピョンヤンに行ってきた人の話を聞く。

彼は「持ちネタ」を2つ準備していた。

 

笑った。

 

在日で漫才コンビ組んで、北朝鮮ネタしたら面白そう」と伝えると

「いいですね!!」と乗ってきた。

 

最後、司会がいう。

 

「それでは惰性での参加者となった元記者の方からもご挨拶をうかがいましょう!!」

 

「それでは…惰性じゃない話をします!!

 旅行しながら、ブログとYouTubeで稼いでいきます!!

 (ここでみんな笑った。本気です!!)

 在日の人にしかアテンドできないピョンヤンを撮影したいです。

 ぜひよろしくお願いします!!」

 

みんな笑顔で拍手してくれた。

 

 

 

 

後日談

 

僕が会社を辞めるにあたって、

山形のトップとナンバー2が

「お疲れ様会」を開いてくれた。

 

トップは当時OKしなかった理由を教えてくれた。

朝鮮総連に出入りするような人間は変わり者に違いない。

 社内ではどういう立場なんだ?って君を疑っていたんだよ」

 

 

僕は笑った。

 

なるほど。そりゃそうだ。

 

「でも、君が国政選挙で記者解説してたでしょ?

 あれ見て『あー社内での信頼も一応あるんだな』ってわかったわけさ」

 

実際、選挙の日はたくさんの在日の人からラインが来た。

 

「もっとネクタイちゃんとしめろ」

「表情かたいぞ」

 

仕事で仕方なくやっていたことが、やりたいことに直でつながっていたわけか。

 

 

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備忘録

役所の原稿を早く書かねばと思っているうちに

もう午後3時…

頑張ろう