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双子パパの脱サラ日記〜子供との時間を大切にして生きる実証実験〜

テレビ一筋だった39歳。扶養や住宅ローンを抱える中とりあえず脱サラ。このブログでは、赤字生活で始まる無鉄砲な脱サラから事業成功までの過程を包み隠さずリアルタイムでお伝えします。当面の着地点は「好きな時に好きな場所に旅。家族みんなで。時に一人で」。

独立から半年で考えたこと~葛藤まとめ~

脱サラし、妻と子供が実家に帰ったのをいいことに、

ひたすらダラダラしていた2か月間。

 

僕はずっと自分の心に耳を澄ませていた。

 

心が発するメッセージに。

 

僕はこの37年間、ずっと「やりたいこと」よりも「すべきこと」を重視してきた。

 

4人兄弟の3番目として、

「やりたいこと」より「すべきこと」を重視するよう仕向けられてきたのだろう。

 

行きたい大学ではなく「行くべき大学(親の経済負担を最重視した地元の国立大学)」にしたことが、僕の人生と僕の人格を決定付けた。

 

社会人になっても、気が付くと

「やるべき仕事」を重視する人間になっていた。

 

周囲の人たちがなぜ

「やるべき仕事」を放棄できるのかが不思議でならなかった。

 

「やるべき仕事」を放棄すれば放棄するほど、責任はあやふやになっていた。

 

それでも僕は、彼らの真似をすることはできなかった。

 

彼らの「やるべき仕事」は、そのまま僕に回されるのだった。

 

「やるべきだけど、やりたくない仕事」に追われる中、

7年の不妊生活後、子供が生まれた。

 

それは僕にとって「やるべき仕事」に加え

「あるべき父親像」に追われることになった。

 

父性というものを全く感じさせなかった父親のもとで育った僕には、「父親像」というのは全くの未知だった。

 

僕はゼロから自分なりの「父親像」を生み出さねばならなかった。

 

それは、自分自身の生い立ちや、親との関係をゼロからひも解く、という行為が必要だった。

 

そうした問題を処理しきれなくなった僕は、

とにかく一度立ち止まることが必要だった。

 

そして「会社を辞める」という判断を下した。

 

ローカルテレビのビジネスモデルに対し、強い疑念を抱いていたことも原因だった。

 

しかし、「会社を辞める」のはいいものの、

サラリーマン家庭で育った僕にとって、

毎月決まった収入が失われてしまうのは、恐怖以外の何物でもなかった。

 

僕は調べた。

 

人生で迷ったとき、僕は必ず本屋と図書館に行く。

 

そしてこの本と出会った。

 

第8版 失業保険150%トコトン活用術 (DOBOOKS)

第8版 失業保険150%トコトン活用術 (DOBOOKS)

 

 

 この本のアドバイスに従って職業訓練校に入り、

失業保険を受給しながら大工になる訓練を受けた。

 

僕は必死に学んだ。

 

誰よりも必死に訓練を受けた。

 

ただ、職業訓練校というのは、カオスだった。

 

受講生の多くが、これまでほとんど接したことのないような人たちだった。

 

失業者=「組織の不適合者」の集まりだった。

 

そして、学ぶ人たちがカオスなら、教員もまたカオスだった。

 

厚生労働省という、社会を揺るがす問題を続発する官庁の下部組織で、

社会に爪弾きされた失業者と対峙する教員たちもまた、カオスだった。

 

僕はなるべく、周囲と関わり合いを持たないように気を付けながら過ごした。

 

それでも職業訓練校に半年間身を置くというのは、疲れることだった。

 

 

でも僕は、その疲れに気付くことはなかった。

 

「訓練校が終われば、収入がなくなる」という恐怖に追われ、余裕がなかったのだろう。

 

「こうするべき」「こうあるべき」ということから逃れたくて会社を辞めたが、

気が付けば「収入を得るためにはどうすべきか」を必死に考え、

必死に実行していた。

 

 

午後4時に学校が終われば、物件探しを繰り返した。

 

物件を見るたびに間取り図を作り、特徴をメモし、友人に相談した。

 

学校修了を待って、個人事業主になり、空き家を購入した。

 

必死にリノベーションした。

 

なにせ初めてのことだらけで、何をするにも一から調べねばならなかった。

 

日中、大汗をかいて孤独にリノベーションし、家に帰ってからパパ業をこなした。

 

子供が寝た後は、翌日の作業の調べ物。

 

朝、ホームセンターで買い物し、また一人孤独にリノベーションする。

 

出費はかさむが、収入はゼロ。

 

ようやくテレビの仕事が入ってきたかと思えば、

翌日キャンセル。

 

キャンセルの電話を切った僕は、

一人古畳の上に茫然と座り込み、しばらく動けなかった。

 

家じゅうのどんよりとして空気が、僕を「立ち上がらせまい」と押さえつけているような感覚だった。

 

当時のことを知る知人は、当時の僕を

「病んでいた」

と表現した。

 

実際、僕は不眠に悩まされ、体重は1割減った。

 

 

しかし、無事リノベーションが終わり、借り主が付くと、一段落した。

 

妻と子供は実家に戻った。

 

そして僕は、体調を崩した。

 

今思えば、当然のことだった。

 

疲労が限界に来ていたのだ。

 

あるいは、限界を越えていたのかも知れない。

 

僕は何もできず、ただ家にいた。

 

ひたすら家にいた。

 

悪寒に震えていた。

 

まったく体調が戻らない。

 

僕は「敢えてダラダラしよう」と決めた。

 

そして

「これは天意だ」

と思うことにした。

 

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魏延により、延命の祈祷に失敗した孔明

 

かの諸葛亮孔明でさえも天意には逆らえなかったのだ。

 

ましてや僕が逆らえるわけがない。

 

休もう。

 

そしてここまで疲労困憊してしまった原因をしっかり考えよう。

 

 

そして僕は、ひたすら映画を観たり、三国志ドラゴンボールアフロ田中を読んだりしながら、

合間合間に考えた。

 

そして一つの結論に至った。

 

僕がここまで疲れたのは、会社を辞めてからも、ひたすら突っ走ってきたからだ。

 

「べき」から自由になろうと会社を辞めたのに、

それでもやはり「べき」にとらわれていたのだ。

 

僕の心は叫んでいたはずだ。

 

「もう疲れた。休ませてくれ」と。

 

でも僕は、それに気付かなかった。

 

そして「2か月間の体調不良」という、人生初の苦しみを味わった。

 

僕は、ダラダラ過ごしながらも、

次こそは、自分の心の叫びに早く気付こうと決心した。

 

そして、

僕の心が発するメッセージに耳を澄ませ続けた。

 

2か月間自分を見つめなおし、ようやく二つ目の結論が出た。

 

「一体僕は何をしたいんだろう?」

 

やりたいことは山ほどある。

 

でも、やれることは限られている。

 

その中で僕は「何としてもこれだけはやりたい!!」というのが何か、自分自身でわかっていなかったのだ。

 

 

そして、そのことを認めるのが僕自身恐ろしかったのだ。

 

そうとわかれば、次にやることは自動的に決まる。

 

そして、ウィンドウズのノートパソコンを買いに行くことになった。