先週の2号物件引渡し取引のときだった。
信金の担当者は、発生する領収書1枚1枚をコピーしていった。
全員のもの全てだ。
そして僕に聞いた。
「先月契約書を交わされた際の手付金10万円の領収書をきょうお持ちですか?」
僕は領収書は全て1つのファイルにしまっていた。
手付金の10万円も大事にファイルにしまっていた。
「持ってきていませんね」
すると信金の担当者は当然のように宣告した。
「それでは後で持ってきてもらっていいですか?」
またか。と僕は心底うんざりした。
彼は二度手間が発生することに対し(発生させることに対し)全く抵抗がない。
不思議なほど抵抗がない。
僕が提出した書類を紛失してさんざん振り回された時も、決して謝ることはなかった。
「手付金の領収書を持ってくるよう予め言わなかったこと」についても、もちろん謝らなかった。
実はこの前日、僕は信金に呼び出されていた。
引渡しに関係する書類を準備するためだった。
なんてことのない、20分ほどで終わる作業だった。
「当日でいいじゃん」という言葉が喉元まで来ているのを、ぐっと飲み込んだ。
僕もさすがに何かと忙しくなってきて「信金に行く移動時間さえも惜しい」と思うようになっていた。
ただ単に、信金の担当者が安心したいがための作業だった。
彼は、僕が来るのは当然、という顔をしていた。
そこには恐縮もなければ傲慢さもなかった。
本当に本当に「当然のこと」だった。
僕は屈辱的な気分さえ味わっていた。
彼にとって僕は、呼び出されればホイホイやってくる存在なのだ。
そして思う。
それが独立する、ということなのだ。
前職で営業していた頃、僕はよく屈辱に耐えた。
「この人に頭を下げるのではない。この人の向こうにあるお金に頭を下げるのだ」と自分に言い聞かせていた。
僕はやはり自分に言い聞かせた。
「お金の力は絶対なのだ」
まだ我を出すタイミングではない。
一方で、相談したいこともあった。
電気工事屋さんを紹介してほしかった。
1号物件の空調取り付けと、テレビ線取り付けをお願いできる個人事業主を探していた。
とある仲間が「間違いのない良い業者さん」を教えてくれていた。
ただ、いろいろ相談してみると、やはり個人事業主の方が料金が安く済むらしかった。
加えて、僕も個人事業主の横の広がりが欲しい、というのもあった。
そこで僕は、信金の担当者に
「電気工事を安くやってくれる個人事業主の方を紹介していただくことは可能ですか?」
と聞いてみた。
彼は得意げな表情になった。
「何人か思い浮かびますね。
そこもあしたの引渡し契約まで見繕っておきます!!」と胸を張った。
僕は頼もしく思い、大した用事でもないのに呼び出されたことも気にならなくなり、信金を跡にした。
後編