meta name="viewport" content="width=device-width,initial-scale=1.0"

双子パパの脱サラ日記〜子供との時間を大切にして生きる実証実験〜

テレビ一筋だった39歳。育休取得してパパ業の大切さと”ワンオペ育児”のヤバさに気づく。「このままじゃいかん」と思うものの記者業しながらの副業はこなしきれず、扶養や住宅ローンを抱える中とりあえず脱サラ。まずはセルフリノベで2軒の大家になり収入を少し確保。このブログでは、赤字生活で始まる無鉄砲な脱サラから事業成功までの過程を包み隠さずリアルタイムでお伝えします。YouTubeもぜひご覧くださいませ。当面の着地点は「好きな時に好きな場所に旅。家族みんなで。時に一人で」。

テレビ業出張2日目〜独立への憧れ?〜

テレビ業で出張2日目。

カメラマンのアシスタント。

リュックに替えのバッテリーを積み、撮影中はモニターを持ちつづける。

撮っているものをクライアントに見てもらうためだ。

移動の際は、三脚(約8kg)を担ぐ。

カメラマンが三脚の高さを変えるときは、言われる前に気づき、モニタを丁寧に置き、高さ変えをサッと手伝う。

映ってはいけないものがあったときや、邪魔なものがあったときには、いち早く気づき、ササッとはける。

でもなるべく存在感は出さないよう、余計な口出しをしないよう心がける。


大阪での撮影は終わり、急ぎ東京に向かう。

東京での撮影がなかなか進まない。

僕がディレクターだったら、あり得ないレベルだ。
 
事前準備が足りてなさすぎる。

D社の担当者も
「こんなに撮影が進まない仕事もめずらしい」とこぼす。

そして彼は撮影中

「ここどう編集したらいいんだろうなぁ」と呟く。

僕は心の中で

「簡単。こうしてああすれば済む話」と思うけど

「どうしたらいんでしょうねぇ」という顔で、関わらないようにする。

あんまり撮影が進まないときは

「こうやって撮ればどうでしょうね」なんて言ってみる。

するとD社の担当は
「なるほど!そうですね!」

なんて言ってくれたりする。


テレ朝で修行もさせてもらった。

自分のテレビディレクターとしてのレベルはなかなかだったと思う。

でも僕は、モノの言い方がストレート過ぎるところがある(さすが元局員さん。お偉かったんだねぇって感じ)のが気を付けないといけないところ。

プロダクションのカメラマンの遠回しで柔らかい物の言い方は、とても勉強になる。

プロダクションの下請けとしての発言の立ち位置がまだ掴みきれてないので、話しかけられない限り、それ以上は喋らないことにした。


20時過ぎ、なんとか撮るべきものは撮った、という感じで撮影が終わる。

その後、カメラマンと新橋へ。

2日目連続でカメラマンと飲む。

昨日初めて飲む人と、2日目連続。

昨日よりもずっとリラックスした雰囲気。

ビールをグイグイ飲んだあと、彼は言った。

「独立、憧れる」

マジか。

昨日の

「よく局を辞めましたよねぇ」という呟きは、そういう意味だったのか、と気が付く。

僕も
「このペースで働いてたら、もたないよね」と

曖昧に同意すると

「そうなんですよねぇ」と彼は認めた。


僕が会社を辞めるときもそうだった。社内の少なくない人が
「俺も辞めたいんだけど…」と口を揃えた。

でも、みんな決まって
「今は子供が小さいから…」
「今の仕事に余裕が出るまでは…」

と、何かしら辞めない理由を探してしがみついてるのだった。
 
今日の彼は、まだ作りたいものがあるというのが、辞めない理由らしかった。


こうして、かんがえていく間にも過ぎていく時間。

老化していく体。

時間ほど大切なものもなかなかないと思うのだけど、みんないろんな理由や不安を探しては、時間を食い潰していく。

そして、気付いたときには、身動きがとれなくなる。

もちろん、そこに僕がどうのこうの意見することはない。

他人をとやかく言うのはバカげている。

僕は僕のことで精一杯。

明日はまた、三脚やバッテリーを背負って新幹線に乗らなければないない。

2日会っていない娘をしっかり抱きしめないといけない。

二晩、一人でやんちゃな双子をみた妻を労わやなければわならない。

そして体と心をやすめ、またセルフリノベに取り組まなきゃいけないのだ。

テレビでやり残した取材を、たまに頭に思い出しながら。
そのことが僕の心の疼きを刺激しながら。