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双子パパの脱サラ日記〜子供との時間を大切にして生きる実証実験〜

テレビ一筋だった39歳。育休取得してパパ業の大切さと”ワンオペ育児”のヤバさに気づく。「このままじゃいかん」と思うものの記者業しながらの副業はこなしきれず、扶養や住宅ローンを抱える中とりあえず脱サラ。まずはセルフリノベで2軒の大家になり収入を少し確保。このブログでは、赤字生活で始まる無鉄砲な脱サラから事業成功までの過程を包み隠さずリアルタイムでお伝えします。YouTubeもぜひご覧くださいませ。当面の着地点は「好きな時に好きな場所に旅。家族みんなで。時に一人で」。

職業訓練校、修了

4月26日(金)

 

 

半年に及んだ職業訓練、いよいよ最終日となった。

 

前半3ヶ月の座学。長かったなぁ。

 

後半3ヶ月の実習。楽しかった、あっという間だった。

 

 

先月までは、最終日は11時頃に修了式をして解散、だったらしいが、この4月からは、修了式は15時50分〜に方針が変わったという。

 

「失業保険出てるのに、半日とは何事か」ということにでもなったのだろう。

 

職業訓練校を管理するポリテク本所の局長か、厚労省の局長が変わって、方針を変えたと推測した。

 

 

ということで、最終日も実習だった。

 

外壁張り。

 

僕はもうやる気が出なかったので、ぼんやり見学していた。

 

ここまで経験を積めば、見てるだけで何をどうしたらいいのかわかる。

 

正直、ここにいる人たちはクセが強すぎて、一緒に作業するのにウンザリしていた。

 

やはり、組織でうまくやれない人たちの集まりだった。

 

友人となったH君も

「もうここを早く去りたいっす」と呟いた。

 

僕も同意見だった。

 

 

午後3時過ぎ、サッシもはまり、一応の完成を見た。

 

 

横の外壁が入っていないのは、間に合わなかったから…

 

 

 

最後の授業は、道具の確認だった。

 

教官は何度も

「鍵を返してない人は返してください」と呼びかけていた。 

 

 

最初の1ヶ月は、どんな道具があるのか、どう使うのか、に費やされた。

 

ハンマーは玄能(げんのう)と呼び、メジャーはコンベックスと呼ぶことがわかった。

 

差し金は直角を引く必需品だということがわかったし、差し金が使えない短い場所は、スコヤというものがあることを知った。

 

ノミやカンナは、刃の研ぎ方で8割方決まる、ということがわかったのは、興味深い発見だった。

 

とても意義深い1ヶ月だった。

 

 

教室から修了式までの会場には、友人となったH君と一緒に歩いた。

 

僕は

「H君と知り合えて良かった。H君がいなかったら病んでたよ」と感謝を伝えた。

 

彼も似たようなことを言ってくれた。

 

彼とは、きっとまたどこかでつながることになるだろう。

 

 

修了式は、入所試験が行われた場所だった。

 

 

 

半年前のことが、昨日のことのように思い出された。

 

本当に濃い6ヶ月だった。

 

JW-CAD、建築法規、フォトショにイラレ

 

そして、建て方実習。

 

授業で得た内容は驚くほどたくさんあった。

 

一方で、家に帰ってから自分に向き合う時間もたっぷりあった。

 

僕は、料理の腕を上げ、自分の生い立ちを見つめ直し、自分の人生に向き直した。

 

たくさんのことを考え、たくさんの文章を残し、たくさんの会話をした。

 

半年前の自分と、今の自分では、全くの別人であるように感じられる。

 

 

修了式の前に「オリエンテーション」なるものが準備されていた。

 

要は「就職の決まっていない者は、連休明けの5月7日の午後4時にハローワークに行くこと」ということだった。

 

就職が決まった人に対しては、また何かしらの書類を提出させるようだった。

 

その際の個人情報の取り扱いについて、またひとしきり長い説明があった。

 

 

ようやく修了式が始まった。

 

司会は見たことのない若い男性だった。

 

我々は誰一人緊張していなかったが、司会の彼はガチガチに緊張していた。

 

新入社員が大役を任されている、という感じだった。

 

彼の緊張のおかげで、式はより厳かなものになった。

 

 

式は、所長挨拶だけのようなものだったが、所長は不在だった。

 

訓練課長が代読した。

 

挨拶は

「これから就職活動しっかりやってくれ。就職が決まっていない人には、追跡調査で電話するのでよろしく」という内容が、丁寧な言葉で綴られていた。

 

式が終わると、参加していた職員が一斉に去っていった。

 

こうした修了式が、毎月行われているのだ。

 

 

最後、担当教官が

「追跡調査の電話は必ず出てください。着信拒否などをされると、いろんな方向からコンタクトを取ることになる」と脅しをかけた。

 

それも終わると、いよいよ解散となった。

 

皆、名残を惜しむ中、僕は、夜の飲み会に参加しない妊婦にだけ挨拶をすると、いち早く外に出たのだった。