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双子パパの脱サラ日記(今はコロナウイルスがらみばかり)〜子供との時間を大切にして生きる実証実験〜

テレビ一筋だった38歳。育休取得してパパ業の大切さと”ワンオペ育児”のヤバさに気づく。「このままじゃいかん」と思うものの記者業しながらの副業はこなしきれず、扶養や住宅ローンを抱える中とりあえず脱サラ。まずはセルフリノベで2軒の大家になり収入を少し確保。このブログでは、赤字生活で始まる無鉄砲な脱サラから事業成功までの過程を包み隠さずリアルタイムでお伝えします。YouTubeもぜひご覧くださいませ。当面の着地点は「好きな時に好きな場所に旅。家族みんなで。時に一人で」。

商工会相談でショックの後に

4月11日(木)

 

商工会議所に行く直前、僕は、きらやか銀行に向かった。

 

通帳記入するためだ。

 

記入は4ヶ月ぶりだ。

 

敢えて記入していなかった。

 

なぜか?

 

残高が減っていることが確実だからだ。

 

支出は最低限に抑えているつもりだが、それでも収入が限られている今、残高が減っているのは間違いない。

 

要は、現実から目を背けていたのだ。

 

しかし、商工会に相談に行くといういことは、融資について真剣に向かい始めた、ということ。

 

事業にいくら回せるのか、今改めて把握する必要があった。

 

 

決算会見以来のきらやか銀行本店を出た僕は、既に数回ため息をついていた。

 

減り方が予想よりちょっと早い気がした。

 

 

商工会で相談を終えた僕は、更に意気消沈していた。

 

このまま家に帰る気になれなかったので(双子の笑顔を見るのが怖かった)、スタバに寄ることにした。

 

書く以外に救われる道はないような気がした。

 

とりあえず書こう。

 

おしゃれなカフェの中で、僕は一人、鬼のような形相で、バチバチと耳障りなタイピングの音をたてながら、黙々と文字を重ねていった。

 

構成も何もない。

 

ただただ、自分を救うために書いた。

 

書くことで、今しがたあった出来事を、客観的に眺めることができる気がした。

 

いくら客観的に眺めても、絶望的な状況に変わりはないだろう。

 

それでもしかし、ブログハローワークからの呼び出し,商工会議所に相談に行ってみたを2本書き終えたときには、だいぶ落ち着きを取り戻していた。

 

それでも、親しい友人に電話をすれば、負の感情を撒き散らしてしまいそうだった(それでも彼は受け止めてくれるに違いないのだが)。

 

そこで僕は、S銀行に勤める友人JMOJに電話することにした。

 

JMOJは、僕を好意的に見守ってくれている友人の一人だった。

 

住宅ローンを引くときも、利率について相談したし、

会社を辞めるときも住宅ローンの扱いについて相談した。

 

彼はいつも、友人として気軽に応じてくれた。

 

今回は

「不動産投資は事業としてみなされないのか?」と質問した。

 

彼は理路整然とアドバイスしてくれた。

 

・政策金融公庫のような公金を融資するところは「事業とはみなさない」可能性は高い

・そのため、県の補助金なども受けるのは難しいだろう

・民間の銀行はそうとも限らない

・「リノベーション費用、どんな人にいくらで貸すのか」などをきちんと示し、利益を上げられることを示せれば、銀行は融資をする

 

これなら、商工会議所の職員が言っていることとは、だいぶニュアンスが違った。

 

一度どん底に落とされた僕だったが、さっそく這い上がってきた気分になった。

 

そうか。それなら何とかなるか…

 

僕は丁寧に礼を述べた後

 

「また相談させてくれ」

 

と言って、電話を切った。

 

数時間ぶりに呼吸を開始したような気分になった。

 

ようやく家に入る気持ちも整った。

 

家に帰ると、いつも通り双子が

 

「爸爸回来了!!爸爸回来了!!」

 

と駆け寄ってきて、僕の足に抱きついた。

 

 

僕は改めて思った。

 

友人の何と頼もしいことよ。

 

友人の何とありがたいことか。

 

僕には、こんなにも優秀な友人がいる。

 

しかも複数。

 

すごいことだ。

 

抱きついてくる双子を見ながら、僕はしみじみとそう感じた。

 

 

ただその日、僕は夜中に何度も目を覚ました。

 

双子は寝息を立ててぐっすりと眠り続けていた。

 

僕は暗闇の中で

「父親の自分」と「無職の自分」をいったりきたりしながら、不安と戦わねばならなかった。