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双子パパの脱サラ日記〜子供との時間を大切にして生きる実証実験〜

テレビ一筋だった39歳。扶養や住宅ローンを抱える中とりあえず脱サラ。このブログでは、赤字生活で始まる無鉄砲な脱サラから事業成功までの過程を包み隠さずリアルタイムでお伝えします。当面の着地点は「好きな時に好きな場所に旅。家族みんなで。時に一人で」。

ローカル局を辞めた理由

20代の頃はとても充実していた。

 

 

 

撮影の技術や編集スピードが上がっていくのがわかった。

 

 

 

成長する「メキメキ」という音が聞こえてきそうだった。

 

 

 

「今の自分」と「3カ月前の自分」とでは全くの別人だった。

 

 

 

5年も経つと、成長のスピードは落ちていったし、

 

 

 

むしろ、油断すると、撮影の技術は落ちてしまう。

 

 

 

30歳を過ぎると、自分のピークのようなものが終わっていると感じるようになった。

 

 

 

加えて、取材も「何度か取材したことあるな」というものが増え、新鮮味もなくなっていた。

 

 

 

それでも、やりがいや自信の成長を感じられることはあった。

 

 

 

例えば、「特集」を仕掛けると、きちんと数字が反応してくれた。

 

 

 

この仕事を始めた当初は「数字は落とさなければ御の字」と言われた。

 

 

 

でも、そんな理屈がおかしいのは明らかだった。

 

 

 

ローカルメディアにありがちな「視聴者・読者不在」の論法だ。

 

 

 

民放テレビの客は「視聴者」だ。

 

 

少なくとも、報道制作の現場の人間にとっての客は、スポンサーじゃない

 

 

いかに「視聴者」が求める情報を出していくのか。

 

 

 

知りたがっていること、関心があること、無意識に求めている情報を。

 

 

 

媚びるのではなく、伝える側がきちんと情報を咀嚼して提供できるか?

 

 

 

もちろん、簡単なことじゃない。

 

 

 

常に視聴者を意識していないと、できることではない。

 

 

 

でも、やろうとし続けない限り、やれないことだ。

 

 

 

こんなふうに悶絶しながら、特集を作り続けていくうちに、

 

 

 

次第に「視聴者が反応する情報」が見えてきた。

 

 

 

「もっと知りたい情報」「提供すべき情報」を出せれば、視聴者は評価してくれた。

 

 

 

そこにやりがいはあった。

 

 

 

でも。

 

 

 

でも。

 

 

 

数をこなしていくうちに、だんだん虚しさばかりが募っていった。

 

 

 

「視聴率をとる」ということは簡単なことではなかった。

 

 

 

やりがいはあったけど、楽しくはなかった。

 

 

 

・ ネタをさがし

 

・社内で企画を通し

 

・取材相手に趣旨を説明して了解を取り

 

・アポを取って

 

・社内で日程を調整して

 

・取材に行き

 

・原稿を書いて

 

・編集をして

 

・テロップを発注して 

 

・BGMをつけて

 

・最終の編集をして

 

 

 

という工程を1人でやるのは、僕にはとても大変なことだった。

 

 

 

苦労せずにVTRを仕上げることはできたが、「視聴率が上がるVTR」となると、苦悶しながら全力で仕上げる必要があった。

 

 

 

でも。

 

 

 

でも。

 

 

 

 

 

たとえ視聴率が上がったとしても、それだけだった。

 

 

 

NHKと先発局には大きく水をあけられたままだった。

 

 

 

特集で数字が跳ね上がり、番組が時間帯1位を取ったとしても、それだけだった。

 

社内評価が上がるわけでもなかった(仕事内容よりも、人間関係を円滑することこそが求められた)。

 

 

 

こうした状況を繰り返さなければ、「視聴者に支持されるテレビ局」にはなれないし、それは僕と現場数人が頑張ったところで、どうにもならないことだった。

 

でも、僕1人ではどうしようもなかった。 

 

 

「視聴者に支持されるテレビ局」は、会社全体で取り組むことだった。

 

 

 

僕には、徒労感だけが残されていった。

 

 

 

家に帰れば、双子が待っていた。

 

 

 

双子は本当にかわいくて仕方がなかったが、子育てが僕を疲弊させているのもまた事実だった。

 

 

 

記者業をしながら、外国人の妻と双子を育てるのは、僕にはとても難しいことだった。

 

休みは子育てに充てるため、自分が休む時間はほとんど皆無となった。

 

僕は、どんどんと追い詰められていった。

 

 

後日談

2019年7月25日

 

落ち着いて考えれば、辞めた理由はもっと単純だ。

 

・今後、この会社で働きたいと思う仕事がなくなったこと

・経営方針に強い疑問を感じるようになったこと

・その割に家族との時間をうまく調整できないこと

・旅行に行けないこと

 

今読み返すと、当時はほぼノイローゼのようだったんだなぁ、と思う。